【原作漫画版】風の谷のナウシカの衝撃の結末を知っていますか?
漫画版ナウシカを最後まで読んだ人なら、みなさん少なからずショックを受けるのではないでしょうか。
深いですよね…。闇が。
今日は、そんな【原作漫画版】風の谷のナウシカの衝撃のラストについて語ります。
ナウシカはなぜあのようなラストをむかえたのか。
ストーリーの消化しきれない部分を噛みくだいて解釈していきます。
ネタバレを含みますので、知りたくない人は戻ってくださいね。
漫画版ナウシカのあらすじ紹介はこちらの記事をどうぞ。⬇︎
【原作漫画版】風の谷のナウシカの闇が深すぎた ① (あらすじ・魅力紹介)
風の谷のナウシカ【原作漫画】が深すぎた (結末・解釈・感想)
【漫画版ナウシカ】ストーリーの流れ
まずは漫画版ナウシカの衝撃のラストまで、物語の流れをみていきましょう。
ここでは、ナウシカの選んだ結末の意味を知るために、ナウシカの心情の変化に焦点を当てていきます。
※この記事はGoogle先生が定めるNGワードを避けるため、ちょっとまわりくどい表現を使う場合がありますが、あなたの察する力を信じて書いています。ごめんなさい。
★主語はナウシカです。⬇︎
人の命を奪う腐海の謎を知りたい
多くの生命が犠牲になる無意味な戦争から命を救いたい
「わたしは何もできなかった…」
人間のせいで壊れていく村や自然や生命を目の当たりにし、絶望する
王蟲と共に自分も森の一部になろうとするが、命を助けられ、心だけが虚無に取り残される
世界がよみがえろうとしていることを知り、希望を取り戻す
闇や滅びも生命の一部であることを知る
「食べるのも食べられるのもこの世界では同じこと 森全体がひとつの生命だから」
世界の争いを収めるため、その根元であるシュワの墓所へ向かう
ナウシカたち人間は、時が来たら旧文明人を呼び起こす目的で作られた生物であり、浄化後のよみがえった世界では生きられないことを知る
「たとえどんなきっかけで生まれようと生命は同じです」
「この星では生命それ自体が奇跡」
このストーリーを一言でまとめると、生命を愛する少女が人間を滅ぼす話ってことになります…。
戦争の中、生命や自然と精一杯向き合い、その尊さをあらためて学ぶナウシカ。
「生命それ自体が奇跡」。
そんなナウシカが最後の最後で未来の生命である人の卵を全部破壊しちゃうんです。
なんでだ!?
矛盾していて理解できない。
消化が悪すぎて、最終巻を読み終わった後1週間、考えこみました。(笑)
そしてひとり深淵の岸辺にたたずんでいると、ある言葉が頭に浮かびました。
「虚無」
この物語の中で何度も出てくる言葉です。
虚無…ニヒル…ニヒリズム…あ、ニーチェ?
ということで、ナウシカを理解するために、ニーチェを読むことにしました。
ニーチェを読めばナウシカがわかる
ニーチェって?
日本でも「超訳 ニーチェの言葉」がベストセラーになり、話題になりましたね。
ちょっと哲学に触れたことのある人なら、「ニヒリズム」とか「ルサンチマン」とか「超人」とか、そんな言葉に聞き覚えがあるはずです。
今回はナウシカへの理解を深めるために、ニーチェを少しだけ学んでみました。
ニヒリズムって?
ニーチェの有名な思想のひとつです。
ニヒリズムあるいは虚無主義とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である
出典:「ニヒリズム」(2019年9月21日 (土) 23:04 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
生きる価値なんてない!!ということでしょうか。
これだけ聞くとかなり暗いし、生命を愛するナウシカとは真逆な印象を受けます。
でもニーチェが言いたかったのは、そんな絶望的なことではないみたいです。
「目的や価値」があるから生きるのではなく、生命とはそれそのものが無条件に肯定されるもの、というのがニーチェの考えです。
道徳(または神)は、人に善悪を教え、人間の行為の価値を決めます。
そして、道徳は人に善い行いをさせることで、人間社会や人類の「保存」という目的に対し有益に働きます。
ニーチェはこの道徳から成る善悪を、目的を果たすためだけの無根拠なものとし、人間を生命本来のあり方から引き離すものとして否定しています。
私たちが「正しい」と信じている行動や物事は、しょせんは社会に都合よくつくられた道徳に基づいて作られたもの。
生命そのものに、そもそもそんな「価値基準」はない、ということですね。
ニーチェは生命を、絶えず変化し、流動し続けるものと考えています。
この「生命=変化」に抵抗する「保存」は、道徳の目的であり、「無条件に肯定される生命」から人を遠ざけているとニーチェはいいます。
このニーチェの主張は、自分たちが旧文明人を保存するという目的で作られた生物だと知った時のナウシカの態度を理解するのに役立ちます。
ナウシカ
(旧文明人に対し)
「生きることは変わることだ (中略) だがお前は変われない
組み込まれた予定があるだけだ しを否定しているから….」
宮崎駿『風の谷のナウシカ 7』徳間書店 p198より
ナウシカは、旧文明人たちが「人類の保存」という目的のために生命を利用することに反発し、彼らを破壊したのです。
ナウシカをニーチェ、旧文明人を道徳(神)としてナウシカを読むと、消化しきれなかった物語の流れがだんだん分かってきます。
ニーチェのニヒリズムについてもう少し取り上げてみましょう。
ニーチェによれば、ニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けて2つある。
1. 何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、消極的・受動的ニヒリズム)。
2. すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、積極的・能動的ニヒリズム)。
ニーチェは積極的ニヒリズムを肯定し、永劫回帰の思想の下、自らを創造的に展開していく、鷲の勇気と蛇の知恵を備えた「超人」になることをすすめた。
出典:「ニヒリズム」(2019年9月21日 (土) 23:04 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
このニヒリズムの考えをナウシカの物語に当てはめてみます。
世界を救うために自分がやろうとすることのすべては、過去の人がやってきたことの繰り返しで無駄に過ぎない。
ナウシカはそう悟り、無力に絶望します。
この絶望と無力感はニーチェの「受動的ニヒリズム」の状態であると解釈できます。
「受動的ニヒリズム」は生存をたえがたいものにするため、「元気付け、癒し、鎮静、麻痺」の働きをする要素が様々な変装をして現れると、ニーチェはいいます。
これは、ナウシカ7巻でのシュワの庭の出現とかさなります。
シュワの庭は、音楽に溢れる天国のような場所で、ナウシカにつらい現実を忘れさせ、癒しを与えます。
その後、現実を思い出したナウシカは、シュワの庭での癒しと麻痺、繰り返しの絶望から抜けだし、争いの根源であるシュワの墓を破壊するという新たな展開を作ります。
これは、エネルギーが従来の諸価値の破壊に向かう「能動的ニヒリズム」の状態と解釈できます。
物語の最後で、ナウシカは従来の価値を壊して新しくなった世界で、人々を導く「超人」のような位置につきます。
このようにナウシカの心情の変化を、「受動的ニヒリズム」から「能動的ニヒリズム」さらに「超人」への移り変わりととらえると、結末へのストーリー展開が理解しやすくなります。
超人って?
こちらもニーチェが提唱した概念のひとつです。
超人とは、人間であることそのものを超えた存在であるといいます。
ちょっと何言ってるかわからないですね。(おしまいの人間ですみません)
ニーチェが超人について説いた著書に「ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)」があります。
ツァラトゥストラによれば、超人とは、大地の意義であり、狂気であり、人間を克服(破滅)させるものであるといいます。
また、人間とは、動物と超人との間の橋であり、移りゆきであり、没落するものであるといいます。
わかりやすく解釈すると、超人とは、価値や目的、道徳(神)に縛られる存在である人間を破滅させ、道徳(神)のないニヒリズムの中で生命に忠実に新たなる生き方を確立する存在、だといえます。
「大地の意義であり、狂気であり、人間を破滅させるもの」
ナウシカのラストシーンにぴったりですね。
ツァラトゥストラは、こうも言います。
あなたがたの魂は、偉大なものをあまりにも知らない。だからあなたがたは、超人が優しさを見せたときにも、さぞ恐ろしいものと思うことだろう!(中略)
あなたがたはわたしの超人を—悪魔と呼ぶだろう!
引用元:ニーチェ著『ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)』氷上英廣 訳 p 251
「お前は悪魔として記憶されることになるぞ 希望の光を破壊した張本人として!!」
宮崎駿『風の谷のナウシカ 7』徳間書店 p208
ラストシーンで人々の卵を破壊しようとするナウシカに、旧文明人がいう印象的なセリフです。
正直に言うと、ニーチェを読む前はこの旧文明人のセリフに共感していました。
だっていくらナウシカでも人々の卵を破壊するなんてひどいじゃないですか。
でも、こうしてニーチェに当てはめてみると、物語のラストでナウシカが人々の卵を破壊する行為は、超人が人間を破滅する行為で、優しさであり、人間にとっての救いだとも解釈できます。
ナウシカは超人のごとく、従来の価値にとらわれ、変われない人間たちを滅ぼしたのです。
ナウシカがシュワの墓所を破壊した後、世界はナウシカとクシャナを中心に新たに動き始めたと示唆されて物語は終わります。
ニーチェは超人を「鷲の勇気と蛇の知恵をもつ者」だといいます。
翼はナウシカの象徴であり、蛇はクシャナの紋章であるのも面白いですね。
まとめ
生命を深く愛しながらも、人類の卵を撲滅させたナウシカ。
彼女の行動は一見矛盾しているようですが、ニーチェを読めばそうでない事がわかります。
人類の卵を破壊したナウシカの行為は、人間が作った「目的」ではなく、生命そのものを愛せるナウシカだからこそできた選択だったんですね。
ではナウシカが破壊したシュワの墓所とはなんだったのでしょうか。
ツァラトゥストラ風にいうなら、「 “汝なすべし” という名の巨大な竜」ということになるでしょう。
千年におよぶもろもろの価値が、この鱗にかがやいている。
ありとあらゆる竜のなかでももっとも強大なこの竜は言う、
「物事のいっさいの価値、—それはわたしの身にかがやいている」と。
「いっさいの価値はすでに創られてしまっている、
—いっさいの価値—これはこのわたしなのだ。(後略)」
引用元:ニーチェ著『ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)』氷上英廣 訳 p39
この巨大な竜は、今のわたし達の世界でも力を持っていますよね。
現代では「神」ではないにしても、世の中の「正義」とか「常識」とか「意味」とか。
そして、自分が世の中のその「価値」にそわないと感じると、わたし達は「私なんて生きてる価値ない」なんていって自ら命を絶ったりします。
ニーチェに言わせれば、その「価値」という言葉の中身は、この巨大な竜が人間社会保存の目的で勝手に決めたもの。
生命そのものの尊さとは関係のないものなんです。
今回ニーチェとナウシカを読んで、「価値」や「目的」なんて言葉にとらわれずに「生命そのもの」を無条件で肯定できたなら、人生に絶望なんてせずにちょっとは明るく生きられるのかも、と思いました。
ナウシカのように、既存の「価値」を破壊し、新たな世界を創造するような超人にはなれなくても、生命そのものの存在を少しでも肯定して生きていけたらいいですね。
漫画版ナウシカは本当に色々と考えさせられる一作でした。
以上、深すぎる【原作漫画版】風の谷のナウシカ(結末・解釈・感想)でした。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
漫画版ナウシカは、映画ナウシカが好きな人、物事を深く考えるのが好きな人には絶対に読んでもらいたい作品です。
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